伏せられしボートのありてこんなにも傷はあるんだ冬の裏には

楠 誓英『禽眼圖』(書肆侃侃房  2020年)

 

 ボートがある。「伏せられ」うるほどのものだとすれば、それほど大きくはない。湖などで遊ぶための手漕ぎのものか。または、釣り用か、競技用か。

 地域によっては、真冬に湖が凍ることもあるので、ボートは陸に引き上げられる。

 

 その裏側が、伏せられたことによって見えていた。普段は目にすることのない部分である。オフシーズンだからこそ露わになる、異体の部分である。すると、傷がたくさん付いていることがわかった。「こんなにも~あるんだ」は、素直な驚きである。裏側の傷のことなど、これまで思ってもみなかった。しかもたくさんあったなんて。

 

 確かに、考えてみれば、ボートは傷が付きやすい環境にある。漕ぐためのパドルやオールがぶつかったり、舫われながら岸にガンガンと当たったり。強風で水が波立つなどすれば、なおさら激しく打ち当たる。また。水深の浅い部分で底を擦ることも、水中生物や浮遊物と衝突することもあるだろう。きっと傷付く。

 

 その傷が、「ボートの裏」ならぬ、「冬の裏」にあると言い表わされた時、思いがけない広がりと深さが生まれた。寒々とした風景が、あるいは、冷たい深淵が立ち現れた。

 春、夏、秋と来て、一年の締めくくりとしての冬の裏側。見えなかったけれど、傷付いている。こんなにもたくさん傷付いている。私たち一人一人の中にも「冬」はあって。そこに「傷」はあって、そんなことも思われてくる。

 

 また、作者は神戸生まれであり、阪神淡路大震災を経てきている。

 

跳ねてゐる金魚がしだいに汚れゆく大地震おほなゐの朝くりかへしみる

 

 「冬」は特別な季節であろう。抜きがたく、そうであろう。冬の裏にある傷には、「大地震おほなゐ」のそれも含まれている。自らもそうであるし、たとえ、周りのみんなが明るく笑って日々を過ごしていたとしても、その裏  心の裡に、「こんなにも」傷を抱えているだろうこともわかるのだ。「冬」とは、そういう季節なのだ。

 

 一首の中の、文語から口語への転換。その零れるような息づきに、引き込まれる。

 

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