笹井 宏之『ひとさらい』(BookPark 2008年)
「まくら」 綿、羽毛、そばがら、ウレタン、パイプ、ビーズ……その中身は様々だけれど、寒い今、一般的に枕は冷たくて硬い。だから、冬には首筋を痛める人が多いそうだ。頭がうまく沈まなくなるので負担が掛かる。
「しっとりとつめたいまくら」 この歌がいつの季節を詠んだものかはわからないが、まずは、物理的に枕が冷える冬や秋の歌だと考える。一方で、どの季節でも、たとえ真夏でも、「しっとりとつめたい」と感じられることはあろう。「つめたい」だけなら、季節性の理由だと断定したくなるところを、「しっとり」という、いくらか主観的な副詞の存在が、解釈の幅を持たせてくる。そして、どうして「しっとり」なのだろう。湿気っているのか、それとも涙で濡れたのか、などという、さらなる考察を呼ぶ。「枕を濡らす」という慣用句や「涙の川の浮枕」というフレーズからわかるように、枕と涙は、深い縁で結ばれているから。
そこから下句へは大いなる飛躍がある。まくらが「にんげんにうまれたことがあった」という予測が急に語られるのだ。その根拠は、「しっとりとつめたい」ところ。「しっとりとつめたい」ものと言えば、「にんげん」なのだろうか。
数年前に、「前前前世」という曲が流行ったけれども、生まれ変わりについては、日本では約半数の人が信じているそうだ。葬送儀礼の中にも、その観念が窺えるものがある。生まれ変わる順番としては、鉱物から植物、植物から動物、そして人間へ、という一方向性に則るという考え方や、生前の行いにより、人間が動物に転生するという考え方もある。そうでなくとも、例えば木になりたいなあとか、鳥になりたいなあ、などと思う時があるのではないだろうか。それが可能なのかは、現段階では確認する術はないけれども。
それにしても、にんげんが「まくら」に生まれ変わったという発想は、かなり独特だ。いや、そう感じてしまったのだろう。直感的に掴まれたものなのだ。
もっとも、枕は、「物」の中では、人間に近そうだ。頭を載せるところなので、頭とイコールのものと見なされてきたし、霊魂の宿るところと考えられていた。だから、今でも、枕を踏むことに、禁忌の感覚を抱く人は多いだろう。
加えて、「まくら」から「にんげん」を連想したのは、やはり、「しっとり」というところが要点で、この言葉があることで、「つめた」さは、冷酷さではなく、涙の、悲しみゆえのつめたさであることが思われてくる。
夜、横たわりながら、一人、涙する。暗闇の中で、誰にも見せない涙を流す。枕だけがそのことを知っている。秘められた心の苦しさを知っている。
「しっとりとつめたいにんげん」が「しっとりとつめたいまくら」になったのだろうか。その内に、涙を潜ませるものとして。だから、「まくら」は、受け止めてくれるのだろうか、にんげんの重みを。
作者は26歳の若さで亡くなったが、長く療養していたそうなので、「まくら」は近しい存在だったかもしれない。
とは言え、全体は重すぎない。すべてがひらがなの素朴な柔らかさに包まれている。