みつまたの花は咲きしか。靜かなるゆふべに出でゝ 処女らは見よ

『倭をぐな以後』釈迢空

みつまたの花はもう咲いただろうか、処女らよ出てきて見てごらんと呼び掛けている。早春、葉にさきがけて咲くみつまたの花は、黄色の匂いのある小花を房状につける。清楚な、つつましい雰囲気の花だ。この花に迢空は日本の処女を重ね見ているのだろう。一首の澄んだひびきが心に沁みとおる。
敗戦後につくられたこの歌には、滅びた国の行く末を託すような処女への祈りと憧憬が流れている。「静かなるゆふべ」という言葉にも、新しい時空のはじまりが密かに告げられているだろう。この歌の一連には〈戦ひのやぶれし日より 日の本の大倭(やまと)の恋は ほろびたるらし〉、〈銀座よりわかれ来にけり。一日よき友なりしかな。はろけき処女〉などという歌がつづいている。生涯娶ることのなかった迢空であるが、それゆえにこそ「はろけき処女」への憧憬は、終生変わらぬものであったようだ。そして同時に、「日の本の大倭の恋は ほろびたるらし」と、その喪失感もはっきり示されている。

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