北山あさひ『ヒューマン・ライツ』(左右社、2023)
木は雪を、雪は硝子をくすぐって冬の終わりの始まりしずか
二月 もう会わない人もいるだろう小さな茶器の小さな蓋よ
春物の明るさ薄さ素早さを遠く眺めてエスカレーター
『ヒューマン・ライツ』の冒頭近くにある「素」という一連から掲出歌をふくめ引いた。二月の、ちょうど今ごろの情景が詠まれているのだと思う。
主体が見つめる「はまなす色のセーター」、それはどんな様子でそこにあるのだろう。きれいにたたんで箪笥のなかに収められている。そんなふうにはよもや思えない。あるいは、主体がこれを着て、袖のあたりをつまんだりしながら、だいぶくたびれてきたな、なんて思ったりしているのか。それも、私の抱くイメージとはちょっとちがう。畳の上に放り出されたセーター。そんな感じなのである。セーターというのは、ひとたびしっくりきてしまうと、もう惰性で何日も同じものを着続けるということが(私のような者には)ある。そんなときそのセーターは、着替えるたびに椅子の背にかけられたり、ベッドに投げたり、あげく畳の上に放り出されたりと、部屋の中を転々とする。
「ひと冬をひと冬なりに伸びており」というこの歌の出だしは、「はまなす色のセーター」のすっかりくたびれて伸びてしまった様子を詠むと同時に、おそらくは冬という季節が「ひと冬」と呼びうるめいいっぱいの長さまで延長される、そういうニュアンスも込められている。先に引用した三首目にも、エスカレーターに乗せられたまま春物の服から引き離すように冬が伸びていくイメージがある。歌集の主人公にとって冬というのは、カーリングのショットのように止まりそうでなかなか止まらないまま、すーっといつまでも伸びていくものなのかもしれない。それでも、セーターがくたくたになり、春物の服が目の前にちらつくほどに、春は近づいてきている。
人類の初めての針、初めての毛皮の外套や 雪山の影
分断が見える/見えない/見る/見ない/見える/見えない/冬の迂回路
雪にふる雪のさびしさ惑星の間をそれでも手紙は届き
雪壁の迷路を迷いなく歩き苺を届けまた戻り来る
『ヒューマン・ライツ』という題のとおり、社会に生きる困難さ、うすうす知りながら誰かが別の誰かから奪い続けるもの、そんなテーマがこの歌集では明確に打ち出される。一方で、長い冬に埋もれるような北海道の情景の豊かさもまた、第一歌集以上に印象に残った。冬という白色の世界を歩き続けた先でようやく意識を向けられる「はまなす色のセーター」。ひと冬の相棒だったセーターと主人公とが、「冬の終わりの始まり」という小部屋に寝転がっている、そんなつかの間の安堵がここにはあると思う。