さくらばな陽に泡だつを目守まもりゐるこの冥き遊星に人と生まれて

『みずかありなむ』山中智恵子

 宇宙的ともいうべき広大な時空をもっている歌である。桜をこのような宇宙感覚で詠んだ歌はこれがはじめてであろう。「陽に泡だつ」とは満開の桜の情景だろうか、ふつふつと「泡だつ」桜の姿は、なにか天地のはじまりの景色を思わせるところがある。そしてそれを見守っていることが、たちまち宇宙の中での自らの位置を照らし出す。「この冥き遊星に人と生まれ」た運命的な構図を、「さくらばな」から透視するというスケールの大きさ。「冥き」という言葉には、地球上に起こるさまざまな出来事や歴史の暗さを読むこともできるだろう。その「冥き遊星」に「人」として生まれた者の眼が、同時に「陽に泡だつ」「さくらばな」を見ているというのである。まさに人間の立ち位置をめぐる壮大なドラマをそこに見るようだ。結句の言葉にかすかな余韻が残るのは、あるいはそのときの作者の心の揺れのあらわれでもあろうか。一九七五年刊。

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