繁りたる木したを潜りゆく膚に椎の花の香触れつつながれ

『黄鳥』阿木津英

 五月の房総の山村には椎の花や若葉の匂いが充ちる。生臭いようなその匂はまさしく初夏の匂いだが、この歌に詠まれているのもその「椎の花の香」である。しかも「膚」に「触れつつながれ」と、「香」がさながら光のように可視化されてとらえられている。結句の「触れつつながれ」という言葉を止めない形も余韻があり、「膚」と「椎の花の香」の交接がいっそう匂やかに感じられる。とりわけ「木した」の「膚」に香が際立って触れてくるというのだ。現象としての自然のいとなみを、言葉の力で一歩踏み込んでとらえた一首であろう。歌集の「あとがき」には、つくった時の「構想を十年ばかり寝かせて澱を沈め、(略)精製した」と記されている。また、歌集名の「黄鳥(くわうてう)」は、詩経の中の詩句にある言葉であり、それは「霊魂の象徴とも、神霊、祖霊の暗示とも言われる」とも記していた。この歌の「椎の花」にも、そうした神霊が香っているようだ。二〇一四刊行。

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