大松 達知


ま夜なかのバス一つないくらやみが何故(なぜ)かどうしても突きぬけられぬ

石川信夫『シネマ』(1936)

 

  いわゆる昭和モダニズムの流れのなかにある作者。こういう歌が昭和初期にあったのである。

 

 「真夜中の暗闇」を想像しづらくなっているこのごろ。都会では、真の暗闇はかえって貴重で贅沢なものだ。

 ここでは、「バス一つない」と言っているから、夜9時ごろまでは路線バスが通る田舎道だろうと想像する。バスであれば一直線に暗闇を突き抜ける。しかし、作中の人物はそれが突き抜けられないのだ。

 いや、「バス一つないくらやみ」という言い方が不思議である。素直に言うなら「灯り一つないくらやみ」であろう。「バス」が真っ暗闇を進んでゆく光景をわざわざ見せ消ちにしておいて、そのあとの暗闇の静寂さを際立たせているのだ。

 それにそうして暗闇の恐怖感に言及しておきながら、あらためて「何故か」というのも不思議である。

 そのあたりの文脈のねじれがモダニズムの不可思議な感覚なのだろう。