中津 昌子


綿飴かい うんにや、ひとだま 石垣をふはり越ゆるはほんに美味さう

小黒世茂『雨たたす村落』(2008年)

 

 

人魂。これを、うまそうというのは、初めて聞いた。

アレは、骨のリンが燃えるものと聞いたことがあるが、昔から人がこわがってきたもので、わたしは見たことがないが、想像してみると、やはり気持ちがよいとは思えない。

 

「美味さう」とは、こわい、と身をひいて縮まる状態からぬけて、あれは何、おもしろそうと身を乗り出す状態、そこからもさらにぬけて対象の上位に立ったところからの発語であるから、まったくすごい。

 

 

ところで、この歌、何人のことばからなっているのだろう。

人物A 「綿飴かい」

人物B 「うんにや、ひとだま」

その会話を聞いた〈わたし〉が、以降の感想をもらす。そんなところか。

つまり、Aは、何かはわかっていながら「綿飴」ということばを出しており、BはBでそれを特におもしろがることなく、平然と応えている訳だ。反応しているのは、〈わたし〉だけで、二人にとっては、「綿飴」という見立てさえ、特にどうってことがない。

 

一読したときは、「美味さう」に驚いたのだが、実はA、B二人の、土地ことばを交えてかわされる会話こそが、立ち止まるべき源のようなところなのである。

こわがりもしなければ、おもしろがりもしない、うまそうとも思わない、これが「ひとだま」を身近く置く人の態度であり、わかるものもわからないものも、その土地のものと共存する心のありようなのだと思う。

 

土地に密着して暮らす人は、やはり都会に暮らす人より、重心の位置が低そうだ。もちろん一般論だが。