時田則雄『夢のつづき』(1997年)
老いた犬がひなたぼっこをしている。
見るともなくそちらに目をやって、父と母とは並んで座っているのだろうか。その場所もまたあたたかそう。
犬も含めて、老いた者だけのなごやかなひととき。
「父かな母かな」、ここのところのうたいぶりがとてもいい。
こういう歌を読むと、あらためて短歌というのは、“何”を詠むかではないのだな、と思う。
「父」という人、「母」という人、その一人ずつを一人ずつとして詠嘆しつつ、リフレインとなる時、ふたりはまさに一対となって寿がれる。
押さえ直すようにして運ばれるここのところはまた、八音となっており、ゆっくり、そしてたっぷりと一首をふくらませている。
まるで“高砂”の人形のような父母の姿。