伊藤一彦『新月の蜜』(2004)
マッチを使わない生活になった。
とくにこだわりがなければ、タバコの火はライターで点けるだろうし、仏壇のローソクも電池式点火装置(チャッカマンとかいう)で点けたりする。
そもそも大きな需要であったタバコが敵視される時代であるし、仏壇の火も危険だからといって電気ローソクになっていたりする。
そういう時代になってゆくのと並行して、街路灯や自動車やコンビニが普及し、生活圏から真の暗闇がなくなっていった。
「闇照らすなし」の主語は「燐寸が」であろう。マッチで闇を照らしていた時代。竈に火を入れるためにも、風呂を焚くためにも燐寸だったのだ。
マッチの火は生きている火という感じがする。(それは短い時間ののちに確実に死ぬからだ。)マッチが点火していたものたちは、生活の匂いが濃いものだっただろう。
そういう「濃密の」闇が減り、それを照らすべきマッチも減ってきた。
作者はただ昔を懐かしんでいるだけではない。昔からみればのっぺらぼうになりつつある現代と現代の生活に対する警戒と違和感を提示しているのだ。
戻れるものではないかもしれないが、その心は大切にしたい。