加藤治郎『ハレアカラ』(1994年)
何か知らぬが、まがまがしい雰囲気の誕生日である。
「黒い身をぬきだ」す。
この「黒」に加えて、らせん状に収まっているものを奥からぬっと引き出すイメージ……。
一読、そこから忌まわしいものを感じるのだが、その前には「エスキャルゴオ」とある。普通は、エスカルゴという食用かたつむりのことだ。この音の誇張のされ方から、しゃれた料理名に、度を越えて破目をはずした何らかの心理状態を感じ取る。
加藤は、このように音感でもって何事かを表すのがとてもうまい。
そして、そこからさらに歌を遡って上二句へ目を移す時、最初、楽しげなと受け取った「誕生日祝ういわおう」が、尋常でない躁状態のものとしてひびく。ひらがなに開かれた「いわおう」も何だかこわい。
下句の方から、いやな感じがせり上がるようにして、一首全体をおおうのだ。
三句目を七音に余らせているのも、上二句の調子のよさを押さえるようにして歌のながれをうまくよどませている。
この一首は、「ホスピタル」と題された章にあるが、そうした場を思わなくとも、一首からたちのぼるものは十分だ。
誕生日って、本当にめでたいか?
生まれてくるって、いいことか?
生き延びるって、実際、どうよ?
喜ばしいものとして位置づけてしまうことによって、人が隠しているもの。