大松 達知


張りのある声の戻らば走りゆく橇を曳きゐる鹿呼びとめむ

春日井建『朝の水』(2004)

 

 作者は〈中咽頭癌〉だったという。

 実際に、言葉を話すための重要な部分を病まれたのだ。

 

 橇を曳く鹿とは、トナカイのことであろうか。あるいは、言葉通りに、鹿を思い浮かべるべきか。そうすると、やや空想的なシーンになろうか。

 病気が治癒して、しっかりとした声が戻ったときに、その美しい声を誰にかけるか。ここで鹿に呼びかけたいと願うのは、まるで異性に呼びかけるような感覚に思える。

 広大な雪景色の中を、橇を曳いた鹿が走っている。それは、病を得てさらに研ぎ澄まされた作者の想像上のシーンである。

 

 そこに遠くから凛とした声でよびかける人物がいる。鹿はその声を聞きとめて、走りを緩める。ただ呼び止めたかっただけかもしれない。呼び止めることで自らの声の美しさを確認したかったのかもしれない。

 この歌の後のシーンがあるとすれば、呼び止めた橇に乗って、苦しかった現実から遠く遠く離れてゆく人物の姿があるに違いない。