黒瀬 珂瀾


ゲットーの四角い窓から降る雪をみているもうすぐ永遠に留守

野樹かずみ『もうひとりのわたしがどこかとおくにいていまこの月をみているとおもう』

大雪が降ったようで、新幹線のダイヤが乱れて大変だったらしい。雪は視界を白く覆い、人の足をさえぎり、そして、しずかに時間を止める。

「ゲットー」の本義は、ユダヤ人を強制的に隔離した地区のこと。ナチスドイツによる強制収容地域を指すことが多いが、その差別の歴史は古く、最初のゲットーは16世紀初頭に設けられている。

この歌の場合は、第二次大戦期における、東欧のゲットーだろう。住居地区とはいっても、その実態は街区がまるごと強制収容所になったようなものだ。「四角い窓」という語句が、監獄をも連想させる。「四角い窓」から見る雪の風景には、単に屋外というだけでなく、ゲットーの外部という意味も込められている。降る雪に外部を遮断され、《私》は四角い窓の中に押し込められ、もうじき「永遠の留守」になるという。

「永遠の留守」。それは、死のイメージかもしれない。そうして、雪が降りこめるなか、「四角い窓」だけが残される。その中には誰もいない。世界は、この「四角い窓」をあまりにも多く抱え込みすぎている。

美しい歌だ。美しすぎるという批判もありうるだろう。悲惨な世界を美しく描くことに、何の救いがあるのか。だが、美しく描かなければどうしようもない悲しみというものは、確かにある。

 死ねばいいと思われた アウシュビッツでガザ地区で東京のアパートで

 死ねばいいと思われていても死ぬまでは窓辺に花を飾る女たち

 人間は地雷を埋める 泥だらけの手で球根を植える仕草で

 いつの間にきみが知っている「せんそう」という言葉。ママ、いまはせんそう?

一首一首ではなく、連作単位で読み込むことで、深い祈りが立ち上がってくるのが、野樹の歌集だ。掲出歌は「窓辺に花を」という連作の冒頭近くに置かれている。同連作には、上記のような歌が並べられている。それらと合わせ読むとき、永遠の留守へと降りそそぐ雪のイメージは、さらに澄み切ってゆく。