魚村 晋太郎


仕方なく雲からこぼれて来たような雨いつかやみ春の夕暮

大下一真『即今』(2008年)

春には春愁、秋には秋思、という季語があり、夏や冬にはそのようにメンタルな季語がないことには以前ふれた。
日本人が、四季のなかで春と秋とを特に愛してきたこととも無関係ではないだろうが、澄明な感じのする秋思にたいして、春愁はもっととりとめのない感じがする。

人は年をとり、けして若返ることはないし、死んだ人は二度と生き返ることはない。
一方、自然界には毎年春がおとずれ、くらくしずかな冬の景色をいきいきとした華やぎの色に再び塗りかえてゆく。
くりかえす季節と、けしてくりかえすことのない個人の生のギャップを、もっとも感じるのは春のおとずれるときだ。
春愁、というぼんやりとした物憂さの背景には、でも、そんな無常観があるのだと思う。

仕方なく、とは、雨の降り方がよわよわしかったことをいうのだろう。
春の日の物憂さをにじませた、情緒的な表現である。
はっきりしない降りの雨もいつのまにかやんで、夕暮が来た。
すこし湿った地面は、春の土のあのかすかな匂いを主人公の鼻腔にとどけるだろう。

一首は連作のなかで「逆縁を嘆く母の背小さきは遠目に見つつ墓所の坂掃く」という一首に隣る。
作者は僧侶であり、春彼岸の頃の作とがうかがわれる。
逆縁とは、年長者が年少者の供養をすること。つまり母は子に先立たれたのだ。
その悲しみを、遠くから見守る作者の姿がある。

今日は春分の日、彼岸の中日である。