石田比呂志『邯鄲線』
冬の味覚の一つといえば、まずは「フグ」。その刺身が河豚刺し(大阪生まれの僕などは「テッサ」と呼ぶが)。細く包丁で引いて、切り身が透けて見えるほどの「薄作り」にする。そうしないと堅い河豚の肉は噛み切れない。透けて見える皿の模様を活かして、目にも美味しく盛りつけるのがよろしい。
薄作りが皿にぴったりと張り付く様子が、「剝がしおり」の語に表れている。その美しい河豚刺しを、がばっと箸で取りあげる。そこには河豚を堪能する喜びと同時に、美しく盛られた形をぐしゃりと崩してしまうことへの喜びがあるだろう。
作者はちょうど葬儀に出てきたところ。参列者と一緒に故人を偲びつつ、一杯やっている風景かもしれない。かしこまった顔つきで弔辞を読み上げた作者が今、公(おおやけ)から私(わたくし)に移るきっかけとして、皿から河豚刺しを引き剝がし、「形」を崩す。これから、故人の悪口話に花が咲くのかもしれない。
こうした人間くささを、硬軟緩急取り混ぜた文体で書きつける石田比呂志の世界。無頼の輩と自称する石田だが、その歌の背景には、江戸俳諧や漢文学の深い素養に裏付けられた、文芸への確かな美意識がある。
居酒屋のいつもの席に慇懃に迎えの<火車>の来るのを待てり
こちらは己の死を思う一首。酔っぱらいながら地獄ゆきの「火車」のお迎えを待つという。齢八十なる不良少年、ここにあり。
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