中野昭子『夏桜』(2007年)
たとえば3月。春の彼岸。
墓石に刻まれた死者の名のうえを流れる、春の水のひかりが眩しい。
ひとが死ねば、その存在はみごとなまでになくなってしまう。
死の瞬間を境に、そのひとのすべては無くなる。そのあたり前のことに、驚く。ひとの存在とはこれほど儚いものだったのか、と。
残されたものは、静かに時間をさかのぼり、もう二度と会えないひとの存在をおもう。
そのひとが生きていたこと、そしていま、死んでいること。どちらも大切なことだ。
そんなときに、死者の「名前」がたしかな記憶の礎になる。あるいは、「名前」は、そのひとそのものとなる、といった感じか。
「名前」によって生き、その「名前」のまま死に、いま「名前」そのものとなったひと。
下の句、「この世に在りて死にて居らざり」が、そのような実感を、強く、つたえている。