魚村 晋太郎


いつか僕も文字だけになる その文字のなかに川あり草濡らす川

吉川宏志『海雨』(2005年)

文字だけになる、というのは、名前だけになる、という意味だ。
人が死ぬと名前だけが残り、その人を知る人の記憶のよすがとなる。
そのことを特に意識するのは、実際人の死に接したり、墓に詣でたりしたときだろう。
一首も歌集のなかでは、墓石を詠んだ歌の隣にならんでいる。

日本人の名は、地名に由来するものが多く、草木の姿や山野の地勢を表す文字の使われることも多い。
そして、たしかに作者の名前のなかには、川の字がある。

名前だけ、といわず、文字だけ、と言っているところには、書かれたもの、つまり作品は残るのだ、というニュアンスもある。
虎は死して皮を留め、という諺もあるように、一首には、作者の歌人としての矜持の表れをみることもできるだろう。
しかし、草濡らす川、という結句にたたえられた、このやさしさはどうだ。

作者が自分の名前のなかに見つけた川は、大きな川ではない。
自分の名前に矜持を持ちながら、いつか無名性のかなたに帰ってゆきたい、という死生観をここに読み取るのは、恣意的にすぎるだろうか。
草を濡らしながら野をゆく川。
そのほとりに視線をおとす作者の表情が見えるような一首だ。