きみの書くきみの名前は書き順がすこしちがっている秋の花

阿波野巧也『ビギナーズラック』2020年

他の人が自分の名前を書く瞬間をみる機会はあんがい少ないと思う。手紙を書くなら自分の部屋でドアをしめて書くだろうし、なにか事務的な、大切な手続きのために署名をするといったときもわざわざ他の人に書いている瞬間をみてもらうことはない。書き終わった書類を見ることはあっても、書いている瞬間を見る機会はなかなかないだろう。

どんな状況なのか、テクストの中では省略されているが「書き順がすこしちがっている」これだけで、「きみ」と〈私〉が近くにいるとわかる。

〈私〉はふたりでならんで何かの受け付けをしている。たとえば、旅行先でホテルにチェックインするとき、ボーリング場で画面に表示するための名前を決めるとき、ふとした瞬間に、これまでしらなかった相手の歴史のディティールに触れるタイミングがあったのだと思う。「きみ」はおそらく書き順が違うことを意識していない。何度も名前を書いて、適度にくずされた書体ができあがっている。書き順がはっきりわかるほどの楷書をたもった形で。

結句の「秋の花」はなんだろう。「きみ」の名前の由来になった秋の花がたまたま咲いていたのかもしれない。「秋の花」の体言止めは、作者の気分の暗喩だと思う。意味や内容をもたない冗語の性質をもったフレーズだ。歌全体が「秋の花」に集約されていく。書き順の違いという発見は「秋の花」に吸収されてゆく。

この歌には「しをり」がある。「秋の花」は季節を繰り返す東洋的な大きな時間の流れと自己をゆるやかにつなげる装置になっている。歌の形式と「秋の花」によって、ごく個人的な体験は普遍的で共有可能な体験へとかわってゆく。

それでもこの歌は作者の感じた2人だけの時間、かけがえのない時間の感覚を保っている。「秋の花」は日常のとある瞬間を切り取って歌の世界のなかに包み込むような、歌の歴史との接点となる言葉だと思う。歌を読む人の間にだけに手渡される記憶のかけらである。

口語の歌に古典的な雰囲気のある言葉が混ざるとき、歌はどこか遠い時間の出来事のような懐かしさをまとう。

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