道浦母都子『風の婚』(1991年)
吃音をもつひとと居る。流れるように言葉が出てくるひととは違って、ときどき立ち止まりながらゆっくり話すひと。
「躓く」という言葉に、そのひとへの思いがみえる。
それは、「カ行音」を発音するのが苦手なひとへの静かな視線だ。
吃音は、病気でもなければ障害でもない。誰にもどうすることもできない自然なことでありながら、吃音をもつひとはそれに苦しむ。
話すことに限らず、他のひとがなんの苦労もなくできることが、自分にはできない苦しみ。
それは吃音に限ったことではない。
その苦しみを、完全にわかる、ということは難しいかもしれないが、その苦しみを感じることはできる。そして、そのひとの苦しさに寄り添うことができたらいいなとおもう。
何を話していたのだろう。
ふたりの未来についてか。昨日観た映画のことか、それとも空や風のことか。
山のなかに二人で居て、どこからか水の音がきこえる。
「カ行音」に立ち止まりながら話す、あなたは、大切なあなた。