前登志夫『青童子』(1997年)
桜の花は、しばしば過去の記憶をつれてくる。
あの日一緒に桜をながめた人は、いまどうしているだろう。
花期の短い桜は、その春の刻印のように遠い日の記憶に影をおとしている。
満開の桜を背景にした空は、いつにもまして透明な水色を湛えている。
その透明な空の色が、色を感じさせないくらいにくらくなるまで、ひとりの人を想っていた。
現在の恋人と読むこともできるが、おそらくは過去の人を想うのだろう。
くらくなるまで、という言葉には、時間の経過だけでなく、胸をしめつけるような春の追憶がしだいにしずまってゆく、その感情の起伏も見事に表現されている。
同じ作者の歌集『霊異記』にある「さくら咲くその花影の水に研ぐ夢やはらかし朝(あした)の斧は」はよく引用される歌だ。
詠まれているのは、桜であり斧であるが、どこか澄明なエロスの漲りを感じさせる一首である。
『霊異記』は1972年の刊行だから、人をおもへり、の歌は四半世紀ほど後の作になる。
『青童子』には別の連作に「さくら咲くゆふべとなれりやまなみにをみなのあはれながくたなびく」という歌もあり、ある雑誌の自選50首にはこちらが取られていたことがある。
初句がどれも、さくら咲く、と共通なのは偶然だろうか。
桜の花の向こうに遠い日の春を眺めていた歌人は、昨年の4月5日に吉野の自宅で亡くなった。
まさに、桜の花のいちばん美しい時期のことだった。