魚村 晋太郎


しかたなく百年白き花を噴きこんな姿になって立っている

佐伯裕子『みずうみ』(2007年)

桜は寿命の短い木、といわれている。
現在、桜の代名詞のようになっているソメイヨシノの寿命は70年くらいで、人間の寿命に近い。
ソメイヨシノは園芸種で、接木で殖やす。遺伝情報が同じ、という意味では、すべてクローンである。
他の木にくらべて寿命が短いのは、接木した部分が弱りやすいせいだという。
同じ桜でも、枝垂桜などは比較的寿命が長く、200年から300年におよぶ木もある。

しずかに桜の花と出会える場所は意外にすくない。
芭蕉の発句にも「木のもとに汁も膾も桜かな」とあるように、都市部の公園や桜の名所では桜の木の下に人が集まり、宴をする。
最近ではライト・アップをされる場所も多い。
春をめで、花をめでる日本人のこころのあらわれともいえるが、一種異様な光景でもある。

一首は、人人に見つめられる桜の木に自意識があったら、こんな感慨をいだくだろう、という擬人法の歌である。
例えば、京都の円山公園にある有名な一重白彼岸枝垂桜の大樹は、樹齢およそ70年で、近年衰えがはげしく、まさにこんな感じだ。

一方で、一首の背後には、人の老いへの感慨もある。
人のなかでも、とくに歌人の宿命が詠われているように思えるのである。
歌に執着して、生涯の情熱を歌にささげる歌人。
特定の歌人を念頭においているとは限らないが、そのような生き方への共感と、自分もそのように生きるほかないのだというしずかな覚悟が、一首の背後には感じられる。
一見やや投げやりな感じにも見える、しかたなく、という初句は、そうした覚悟の裏返しでもあるのだ。