松平盟子『プラチナ・ブルース』(1990年)
四月は、入学や進級の季節でもある。
街角には入学の準備の買い物をする親子、入園式や入学式帰りの親子の姿も見られる。
親の笑顔は、子の表情をあかるく照らし、また、自分を必要としているかけがえのない存在からあかるく照らされている。
そうした親子の姿はときにほえましく、ときに溌剌としてまぶしい。
歌集には、離婚をして子供と離れて暮らすひとりの女性の姿がある。
母であり母でなき、とはそういう意味だ。
ほんとうなら、自分もああして子供の手をひいていたはずだ。
母親でありながら、ほほ笑みかけ、ほほ笑みかけられるはずのわが子が目の前にいない自分自身の顔は、今どんなふうに見えるのだろう。
その問いの向こうには、離れ離れに暮らしているわが子の視線がある。
わが子の目に、自分自身はどのような母として映るか、という深く刺さったまま抜けない棘のような、自らへの問いである。
そうした状況に至った経緯はくわしく語られてはいないが、原因が子供たちの側になく、大人たちの間にあったことはおそらくあきらかだろう。
四月の空がことさらに晴朗におもわれるのは、わが子と別れて暮らすことを選ばざるを得なかった、沈鬱な自責の念が主人公の胸のうちを占めているからだ。
それでも主人公は、自分自身の生を生きるほかない、などと結論を言えば、そんな綺麗ごとでは済まない諸諸の痛みや哀しみから目を背けることにもなりかねない。
たしかなのは、家族が形を変えたあと、かけがえのない肉親とどのように向き合ってゆくのか、そして自分自身とどのように向き合ってゆくかという問いかけが、主人公ひとりの問題でなく、現代を生きる多くの人にとって切実な問いであるいうことだ。