干し網は白く芝生にうたれつつ輝く時のいまは過ぎゆく

松坂弘『輝く時は』

 

光は、ときに希望であり、ときに畏怖の対象でもある。「輝く時のいまは過ぎゆく」という断定には、まさに今この瞬間に輝く青春の時を喜ぶと同時に、「いま」の後にはどうなるのか、未だ見えない未来へのかすかな畏れも含まれているかもしれない。

この一首、舞台は漁村だろう。干し魚を作るために、天日の下に掲げる網。時には、空に魚が飛びゆくように見えることも。その白い網は今、本来の仕事を休み、芝生に寝そべっている。洗った後に乾燥させているのか、これから魚を引っ掛ける作業を始めるのか。砂の上ではなく「芝生」に広げられているのは、砂で網が汚れることを避けるためだろう。そんなところにも、作者の観察眼の力を感じる。

 

芝生に広げられる白い網。「うたれつつ」という表現は、海原に投網が打たれたように見えたことを示している。今は本来の役割を休んでいる干し網が、まるで何か、別の大魚を捕らえようとしているようだ。自分の心も同じように、無為に思える日々の中に、まだ見ぬ未来を捕らえようとしているのだろうか。ともかく作者は白い網に宿る光を見つめつつ、今はただ、輝く時間が過ぎゆくのに身を任せている。

 

  手を下げている明るさのひろびろとがんじがらめの白鳥の羽
  差し展(ひら)く幼き十指それぞれに光にふれてまたあるき出す

 

明るさが印象的な二首。若き己にとっての焦燥の光は、同時に、幼き我が子の指を包む希望でもあるのだ。

 

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