澤村 斉美


人どよむ春の街ゆきふとおもふふるさとの海の鴎啼く声

若山牧水『海の声』(1908年)

「どよむ」は「響動む」また「響む」で、ここでは大声でさわぐ、どよめくことをいう。人がたくさん出ていてにぎやかな、春の街の雑踏を行きながら、ふるさとの海のカモメの鳴く声をふと思った、という。身は街の雑踏にありながら、心はふらりといざなわれ、遠いふるさとの海で親しんだカモメの声を恋う。

街にいてふるさとを思う歌に、石川啄木の「ふるさとの訛(なまり)なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」(『一握の砂』1910年)がある。こちらは望郷の念を前面に出し、わざわざ停車場にふるさとの訛を聞きに行ってしまうほどの孤独を思わせる。対して牧水の歌は、「ふと」が効き、また思う対象が海の鴎の声だからか、なんとものびやかだ。「ああ海に行きたいなあ、行こうかなあ」なんて少年のようなつぶやきまで聞こえてきそうだ。

牧水のことを「あくがれ」の歌人だと言ったのは伊藤一彦だ。

わが胸ゆ海のこころにわが胸に海のこころゆあはれ糸鳴る

『海の声』中のこの歌を引いて伊藤一彦は、「『海のこころ』と『わが胸』とが繋がって共鳴しているのである」と述べる(『牧水研究』第6号収録の「『海の声』の世界 牧水と自然第二回」より)。自分の心を預け、また海の心を受けとめる牧水にとっての「ふるさとの海」とは、もちろん延岡中学校時代に過ごした日向の海である。と同時に、いつもあこがれてやまない、心が行き着き、また心が帰る場所としての海なのだ。