うつたうしき気分の父とカバを見るカバは目つむる花降るときを

中津昌子『夏は終はつた』(2005年)

気分が晴れない様子の父と一緒にカバを見る。動物園を訪れたのだろう。カバは目をつむり、花(=桜の花)が散りかかる。「うつたうしき気分の父とカバを見る/カバは目つむる/花降るときを」と、句切れが2カ所あり、淡々と出来事を述べる文体だが、場面や気分、2人の関係性や事物の存在感など、いろんなものを伝える1首だ。父が「うつたうしき気分」でいる理由を作者は知っているのかいないのか、声はかけずに、ただ感じている。得体の知れない鬱陶しさを2人して感じながら、カバを見ている。このカバの存在感がすばらしい。2人の心持ちをよそに、ゆったりと目をつむり、カバにはカバの時間が流れる。桜の花が満開を過ぎて降る季節のなか、父と自分とカバがただそこにいる不思議さ。そこに作者は立ち止まっている。

 

同じ歌集からもう1首。

  雨ふかし父の笑顔のさびしさが磨くスプーンのそこひにたまる

父の表情をよく見ている作者だ。「そこひ」は「底ひ」。スプーンの凹面を示す。「作者がスプーンを磨きながら、父の笑顔を思い出している」場面として読んだ。スプーンを磨きながらふと思いだした父の笑顔について、あれは「さびしさ」だったのだと理解する。父のさびしさについて思いをめぐらす、その思いと時間がスプーンにたまっていくような気がする、というのだ。「うつたうしき気分」の歌も「笑顔のさびしさ」の歌も、深くは語られないけれども、父という人の在り方を伝え、それを受けとめる作者の姿をそっと伝える。

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