澤村 斉美


微生物ひきつれ弥陀はたたなづく青垣を越ゆしたしたと越ゆ

 永井陽子『樟の木のうた』(1983年)

悠(はる)かな時間が流れている、としか言いようのないこの美しい歌を、言葉でどう説明したらいいのだろう。「青垣を越ゆしたしたと越ゆ」というリフレインの響きの良さに、いつまでも浸っていたく思うばかりだ。

 

「弥陀」は阿弥陀の仏像だろう。古い木造の阿弥陀仏には微生物が巣食っているものだが、その阿弥陀仏は、身の内や周辺の微生物を鷹揚にひきつれて、周囲をめぐる青々とした山々を「したした」という静かな足取りで越えるのだという。「青垣」が出てくるところで、不意に当たり前のものの大きさの尺度がふっと揺らぎ、山よりも大きな阿弥陀仏が悠々と山と越える様子が思い浮かぶ。

 

『古事記』中に倭建命(やまとたけるのみこと)の歌として、次の歌がある。

  倭(やまと)は国(くに)のまほろばたたなづく青垣(あをかき)山隠(やまごも)れる倭し美(うるは)し

「やまと(奈良)は国々のなかでももっともすぐれたところ。重なり合った青い山々に囲まれたやまとは美しい」と、ほめている。永井陽子の歌はこれを踏まえているだろう。「たたなづく青垣」というフレーズがたちまち、古代のやまとの美しい景色を呼び起こす。しかし、古代の雰囲気そのままに詠うのではなく、弥陀と微生物という意外な取り合わせで新鮮な世界をひらく。読者の前に悠々とひらかれる幻と、ひそやかな音を思わせるオノマトペ「したした」に込められた弥陀のたたずまいへの憧れが、絶妙に融け合った一首である。