黒瀬 珂瀾


死者の魂(こん)翼に乗ると空みつつまなこ澄みけむ古へびとら

高橋睦郎『虚音集(そらみみしゆう)』

 

死者の魂は鳥の翼に乗って、天の彼方へと飛んでゆく。そう信じている古代人たちがいたかもしれないと、作者は思う。「いにしへびと」たちの瞳は澄んでいただろう。最大の敬意を払うべき死者を見送るその真心は、現在の文明社会に生きる私たちにはもはや取り戻せない。

 

約10万年前のネアンデルタール人には、死者を埋葬する習慣があったという説がある。古来、人類は、死者を弔い、敬意を示し、その魂を死後の国に送った。体系化した宗教が成立するずっと前から、世界それぞれの民族の思い、風土により、死者の見送り方があっただろう。そして、現在の私たちにも、死者の送り方がいくつかある。その一つが、挽歌だ。

 

  眠る人死にたる人にあらざれば死にたる人は瞼上げずよ

 

永遠の眠りは、やはりただの眠りではない。この単純な事実を改めて突きつけられたとき、私たちは慟哭を心に抱える。『虚音集』には、いくつか挽歌が収められている。歌の大きな役割に「魂鎮め」があるが、鎮めるべきは死者の魂であり、また、知友を失った作者自身の魂でもあっただろう。その死を悼む歌は澄み切った響きを備え、歌のあるべき姿の一つを思わせる。

 

  のどふかく閊(つか)えし核(さね)や芽吹き伸び今朝きみの死の大樹(おほき)とそよぐ

 

上記は、咽頭を病み、「時じくの香菓の実われの咽に生れき黄泉戸喫(よもつへぐい)に齧り捨つべき」と歌った春日井建への挽歌。昨日は春日井の七年目の命日だった。