澤村 斉美


わたしの自転車だけ倒れてるのに似てたあなたを抱き起こす海のそこ

雪舟えま『たんぽるぽる』(2011年)

わたしの自転車/だけ倒れてる/のに似てた/あなたを抱き起/こす海のそこ

あえて区切れば8・7・5・7・7となる。第3句と第4句の間以外は句またがりで、芯の強い、頑固な調べが生まれている。上句におかれた自転車の比喩の説得力と無骨な調べで読ませる歌だ。

 

自転車置き場にたくさんの自転車が止まっている中で、自分の自転車だけが倒れている場面を思い浮かべた。非常に微妙な心持ちにさせられる状況だ。大風が吹いて一斉になだれるように自転車が倒れているならなんでもないが、ほかが普通に立って止まっているならば、なぜ自分の自転車だけが、と不可解のあまりに焦る。また、わたしのものであって、わたしではない、「わたしの自転車」へのいとおしみのような憐憫のような気持ちにも襲われる。

 

こんな気持ちを想像させる上句が、「あなたを抱き起こす」ことの比喩なのである。「あなた」は大事な人だ。「海のそこ」も比喩で、「わたし」が「あなた」を抱き起こす、その状況のしんと閉ざされた孤絶感が「まるで海のそこにいるようでした」ということなのだろう。具体的な状況は分からないが、身体が覚えている「抱き起こす」という感覚が、愛とさびしさを含んでいることを詠う1首だ。

 

「抱き起こす」ことの感覚を通じて、「自転車」と「あなた」が等価に並ぶ。人に対する思いと物に対する思いが同じなのか、といぶかしむ読者もあるかもしれない。だが、人、物、関係なく、この世にあって「わたし」がかかわる存在すべてへの愛のある抱擁が『たんぽるぽる』の主題ではないだろうか。

  箱買いの蜜柑二人で床にあけ 見たことないよこんな冬、って

  胸にわたし背中に妹をくくり父はなんて胴のながい天使

  夕焼けがわたしを倒し渡ってく倒れて町の一部となりぬ

  ヨーグルトの匙をくわえて朝の窓ひらけば百億円を感じる

このような歌を読むとそう思うのである。