黒瀬 珂瀾


テーブルを挟んでふたり釣り糸を垂らす湖底は冷たいだろう

松村正直『駅へ』

 

二人でテーブルをはさむ。その多くは食事時だろうか。普通は会話が弾んだり、お互いにやり取りがあったりするものだが、この歌では二人とも釣り糸を垂らすのだという。釣りの時は、余計なおしゃべりはせず、じっと静かに糸を垂らす。そうしないと魚が逃げてしまうからだ。次に「湖底」とあるから、豪快な海釣りじゃなく、静かな淡水の釣りを想定しているのだろうか。

 

二人が釣り上げようとしているのは、会話のきっかけだろうか。もう一歩踏み込んで言えば、お互いの心を釣り上げようとしているのかもしれない。しかし、針の沈む湖底はあまりにも冷たく、凍った互いの心を解きほぐすきっかけは、釣れそうにもない。こうして湖上ならぬテーブルの上では、二人の間に沈黙の時間が流れる。

 

日常の風景から始まり、三句目で一気に異なる風景へと転換させる技に魅了される。日常と幻想が同じ一つの空間の中で連続してゆく。そこには様々な人が生きるこの世界を、己の空間として語りなおすモノローグ的な口語的修辞の力もあるだろう。おそらく、冷たいというのは、テーブルにつく時間だけじゃなく、自らの心の底のことでもある。

 

  特急に胸のあたりを通過されながらあなたの言葉を待った

  夢かたり終えれば妙に寒々と梅酒の梅が露出している

 

この独白体の切なさが、一瞬の幻想を下支えしているように思う。己の胸と特急の通過するホームが重なり、焼酎漬けの梅のように自らの夢に酔う。歌の中に他者がいるのに、どの歌も妙にさびしいのは、単にさびしい場面を歌っているからだけではない。すなわち、己の感情をこうした一瞬の幻想に託さざるを得ない感覚にも、その理由があるのだろう。