澤村 斉美


人はかく大人にならむ はにかみて「Bonjour」と言ふ時期のみじかさ

小川真理子『母音梯形(トゥラペーズ』(2002年)

作者はフランス語の講師。掲出歌を含む一連「逃げ水のこゑ」は、フランス語を話すことを切り口として、「わたくし」や「人」に新鮮な感覚で出会いなおしていく。掲出歌は、フランス語を習い始めた人がはにかんで「Bonjour」と言っているところだろう。基本的なあいさつの言葉をおずおずと言っている様子から、小さな子供がはずかしそうに「こんにちは」とあいさつする様子を連想し、上句「人はこんなふうに大人になっていくのだろう」とふと気づく。言語を習い覚える過程と、人の成長過程とが重ねられているところに発見がある。

 

この歌にはっと胸をつかれるのは、人が子供でいる時期のみじかさに思いが至っているからだ。大人が言語を習う場合でも、ハローやニーハオなど、基本的なあいさつにはすぐに慣れてゆき、新しい言語を覚えはじめたときの新鮮な感覚は自然と忘れられる。そういえば、はにかんであいさつをするような子供の時期もあっという間に過ぎる。はにかんでいた子供のころの感覚をやさしく愛惜する思いがほのかに見える一首だ。

 

  Oui(ウィ)、Non(ノン)の二元に疲れたる夜は恥づかしきまで人の言ひなり

  みづからのこゑ逃げ水のやうに聴くランボーの詩を読みあぐるとき

 

同じ一連にあるこれらの歌も、母国語以外の言葉を話すことを通して、自らの新たな面を見つけている。フランス語の音の響きが美しく短歌と融け合った次の歌も印象にのこる。

  奥歯にて干無花果(フィッグセッシュ)の種を嚙む思ひだしたくなきは多かり

  騙し絵の窓辺より風 洋古書の「蝋紙(パピエ・パラフィネ)はつかに震ふ