魚村晋太郎『花柄』
ダブリンで過ごした一ヶ月半は、街中で毎日大きなカモメを見ていた。ロンドンで見かけるのは、ユリカモメだろうか。古い街の空には、白い鳥がよく似合う。そして、改めて言われてみると、確かにカモメは「さむい」鳥のように感じる。風の吹く海の風景を思い浮かべるからだろうか。だが、掲出歌においては、眼前にカモメは存在しない。
これを読んでいる貴方は、当然、インターネットの享受者である。その利便性の代償として、ネットによるストレスも感じているかもしれない。そのひとつに、連日メールフォルダに舞い込むスパムメールがある。その多くはポルノサイトや出会い系、もしくは詐欺的サイトへの誘導だろうか。ずらりと並び、削除するだけのスパムメールが、どうして「さむい鷗の群れ」に見えるのだろう。それはもしかしたら、どことも知れない発信元から飛んできたスパムメールに、寒い海原の上空をただ浮遊するカモメの淋しさを感じたからかもしれない。
スパムメールのいずれも、馬鹿げた広告と虚言に満ちた、いうなれば言葉の死体のようなもの。それらが世界中から押し寄せる私たちのパソコン。世界はかくも不透明なむなしさに満ち、私たちは悲しみの窓としてディスプレイを見つめる。その空間には、さむいカモメであるスパムメールが、音もなく隊列を組んでいる。そんな現実の不安の中に生きる私が、その前にいる。
あした降る雨の冷たさ冬彦の「馬」その他をコピーしながら
栞の紐がついてゐるのに伏せて置く本のページのやうに週末
「冬彦」は詩人の北川冬彦。「軍港を内臟してゐる。」という短詩「馬」は広く知られているだろう。魚村の操る口語は、どこか冷やかさを感じさせる。口語でありながら、その背景には何か、硬質な詩情を思わせるからだろうか。もしかしたらこの文体は、口語的文語、とでも呼ぶのがふさわしいかもしれない。
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