黒瀬 珂瀾


障子戸がひらきむかしのいとこたちずさあっとすべりこんでくる夜

盛田志保子『木曜日』

 

最近では、障子戸のない家も増えたんじゃないだろうか。ふすまやドアとは違い、影が透けたりして、なんとなく障子の後ろに誰ががいたりしても解るものだ。そうして障子がひらき、いとこたちが部屋に滑りこんでくる。となると、「私」がいるのは、お蒲団がひかれた寝室ということになるのか。もちろん、日本間だろう。

 

いとこたちが田舎の実家に集まって過ごしている休日を思う。古い日本家屋の夜、障子が開き、久しぶりに会ういとこたちがはしゃぎながら、お蒲団に飛び込んでくる。だが、この「いとこ」たちは「むかしのいとこ」なのだという。ということは、これは現実の今の光景ではなく、楽しい、幼いころの記憶が蘇っているのだろうか。その記憶を、まるで今現在のことのように描くことで、一首の中には不思議な時間のねじれが生じ、「いとこたち」のすがたも不思議な存在に変容する。だからかれらは「ずさあっとすべりこんで」きたりする。

 

  ある朝は網にかかった電車ごとみんなで海に帰りたいです
  ヘリコプタア海にキスする瞬間のめくるめく操縦士われは

 

どれも歌の中で、確固たる存在だったものが静かに変容し、時間感覚がくるってゆく。「ある朝」、「瞬間」という時間を提示しているにもかかわらず、そのひとときが歌の中で、異様に長く感じられる。掲出歌の「夜」も、ただ一晩を指すのではなく、作者の中で永遠に、永遠に繰り返し蘇る、長い長い記憶の結晶を指しているのだろう。


追記

事情により、本日分のアップデートが非常に遅くなりました。申し訳ありません。お詫び申し上げます。