父なくば育たぬ種など滅ぶべし月下を豹の母と子はゆく

小関祐子『Sein(ザイン)』

 

父がいなければ育たぬ種族なら、そんな種族は滅んでしまうがいい。やや恐ろしげで、思い切った断言だ。その背後には、切羽詰まった感情が隠れている。その発端となったのが、豹の母子の姿だ。NHK『ダーウィンが来た』のようなドキュメンタリー番組か、それとも『ナショナルジオグラフィック』などの雑誌だろうか。月の輝く下を、静かに歩みゆく豹の母と子。サバンナか熱帯雨林か、夜行性の豹が月の夜に狩りに出かけるのか。

 

豹はライオンやチーターと違い、群れをなさない。狩りも単独で行い、オスメスが夫婦として行動することもない。しかし母子関係は濃密で、子が独り立ちするまでの約1年、母子はぴったり寄り添う。母は子に狩りを教え、時には共に遊び、外敵から必死に守る。過酷な弱肉強食の世界でそれがいかに大変なことか。ハイエナやヒヒなどに捕食されたり、成年を迎えずに死ぬ豹の子も多い。それでも豹の母子は一日一日を懸命に生きる。月の明かりに浮かぶその姿に、作者は崇高な魂を見た。そして思わず、上句のような感慨が心を突いたのだ。

 

無論それは、作者の内面における「母」、「子」そして「父」という存在それぞれの関係性が呼び出したものだ。掲出歌一首を読む際、その母子父の関係性がいかなるものかを探る必要はない。ただ、作者の内面の切迫感――父などいなくとも子を育てるのが母だ――という切迫感を感じ取ればいい。それに賛同するかはともかく、作者が己をこのような母として自己規定せんとする姿に、やはり心を打たれずにはいられない。

 

  子は涙飛び散るほどに頭振り死ぬも老ゆるも母に許さぬ

  叱られしをさなの自我は透きとほる珠なしてその目をあふれ出づ

 

あえてその現実を記せば、本歌集の帯には「シングルマザーとしての生を選んだ作者」とある。上の一首目は掲出歌と同じ一連「世界樹」の作。母を絶対に手放さそうとしない、子の必死さ。そして、その子の自我が涙となって流れる姿も描写される。ついさきほど、僕の目の前で、母の乳を必死に吸っていた娘が眠りに落ちた。

 

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