おとうとが喪服持たざる心配を息ぎれしつつ母は言うなり

駒田晶子『銀河の水』(2008年)

母親が、自分の子である男をどのように愛するか。
自分の子を愛するという行為は、もちろんその子が男だろうか女だろうが何のかわりもない。
しかしそれとは別の、感情的な、不思議な力学がそこにはあるようにおもえるのだ。
それは子である男のほうにも要因はあるだろうが、母親の愛情(の加減)にもある。

今、母が死の潭にいる。母は肺の病である。
息苦しさと痛みに耐えつつも、「喪服」をまだ持たない子のことを「心配」する。
「喪服」とは、みずからの葬儀のためのものだ。
死を覚悟し、その怖れのなかにありながら、なおも子の「喪服」のことなどを「心配」する母の姿は、野の花一輪のようだ。
その傍らに佇むわたくしは、同じ女として、共鳴する何かを感じているのだろう。

自分が亡くなったあと、あの子はどんなふうに悲しむのか、どんなふうに立ち直って生きていくのか、どんなふうにひとを愛するのか。
そんな母の「心配」が強く伝わってくる。

同じ歌集のなかにこんな歌があった。

好きな人が出来ました家を出ていきますもう戻らない家族の時間

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