棚木 恒寿


子を抱く妻残しきて時計塔に雀こぼるるさまに向かえり

 

                                                               石本隆一『木馬騎士』(1964年)

 

 まだ幼い子供を妻に任せて作中主体は外出して来たのだろう。その理由は分からないが、おそらく家族から離れてひとりになりたかったのではないか。その行為にやや後ろめたさを感じながら時計塔に真向かう。そのとき時計塔のまわりの雀が「こぼるるさま」であったというのである。「こぼるるさま」という形容が印象に残る。雀のいる光景は、希望ではなく寂しさだろう。小さい雀のかわいらしさに心が向かうのではなく、雀がこぼれるようにいる時計塔の寂しさのほうに主体の心情が重なってゆく。

 

 下の句は「時計塔の雀こぼるるさま」あるいは「時計塔から雀こぼるるさま」にした方が意味が整理されるようにも思うがそういうことはしない。意味を確定するまでに文体のハードルが少しだけあり、そこを過ぎたところで「こぼるるさま」という心情と重なる言葉が提示されて、より深く印象に残るのである。

 

肉厚き古土器の縁(へり)をこぼれゆく街のひびきはわが携えし

都心部の重たき街に異質たり雨に塗らるる頬あたらしく

噴水に寄りくる老いをもたぬ町ひとびとは水落ちぬ間に去る

 

 二首目、「雨に塗らるる」が印象的な一首。雨に「濡れる」のではない。「塗らるる」だからまるで雨の粘度が高いように感じられ、また受動の形であることから何か他者に塗りつけられたような表現になっている。すこし気持ち悪い感じの雨だ。「重たき街」に「異質」なものとして存在する主体の孤独が下の句の表現により否応なく浮びあがる。「塗らるる」という、ややイレギュラーな言葉が一首を立ち上げているといえよう。

 

 『木馬騎士』にはやや暗い叙情・少し難解な文体の歌が散見される。読者は躓き、躓き読んでゆくことになり、そこには読み飛ばすことが許されない(時代の?)空気の重さがあるように思われた。

 

初夏の朝なお柔かしかたことと牛乳瓶の嵌めこまれゆく

窓あけしままの目覚めにしっとりと朝は嬰児の匂いをもてり

 

 これらは、読みやすい部類に入る歌だろうか。「牛乳瓶の嵌めこまれてゆく」の朝の具体のもつ手触り、そこから生まれるさわやかさも良いと思う。