石川啄木『一握の砂』(1910)
先日、東京都写真美術館で開催中の「ストリート・ライフ ヨーロッパを見つめた7人の写真家たち」を見てきた。19世紀後半から20世紀前半にかけての都市や人々を写したソーシャル・ドキュメンタリー写真の展覧会で、イギリス、ドイツ、フランスの写真家たちの作品が並んでいる。トーマス・アナンが写したグラスゴーの古い路地、ウジェーヌ・アジェによるパリの街並みなど見どころたっぷりなのだが、特に印象に残ったのは、アウグスト・ザンダーの有名な肖像写真シリーズだ。〈20世紀の人間〉と題されたそのプロジェクトで、ザンダーは同時代を生きるあらゆる階層や職業のドイツ人を写し、体系化しようと試みた。「羊飼い」「若い農夫たち」「拳闘家」「警官」「失業者」……。「鍵作りの親方」は左手に鍵束を握り、「下働きの人夫」は両肩にレンガを積み上げたまま、まっすぐにカメラを見据えている。
ザンダーの写真を見ていると、自分が何を目にしているのか、ふいにわからなくなる瞬間がある。たとえば「菓子作りの親方」という写真の男は、親方その人に間違いない。しかし、丸々としたお腹を突き出し、鍋に手をかけたその姿は、あまりにも菓子作りの親方「らしすぎる」気がしてくる。まるで、本人が本人の役を堂々と演じているような感じ。あるいは、「1928年の菓子職人」という役柄のオーディションを実施し、最もふさわしい一人が代表として選び出されたような。
かつて寺山修司は、「一人の歌人をもって、一つの時代の青春を代表させることができたのは石川啄木までだったのではないだろうか? 啄木の詩歌を読むと、啄木の生きた時代が、当時の新聞記事よりもなまなましく感じられてくる」と書いた。
この指摘がどの程度まで妥当かはとりあえずおくとして、ザンダーの肖像写真を眺めながら、私は何となく啄木のことを連想していたのだった(『一握の砂』が刊行された1910年は、ザンダーが〈20世紀の人間〉プロジェクトを開始した年でもある……と気づいたのは、後になってからだった)。
その名さへ忘られし頃
飄然とふるさとに来て
咳せし男
『一握の砂』、「煙」の章から(ルビは適宜省略)。「コホン」という小さな音が、いわくありげな男の帰還を告げる。「飄然と」戻っておきながら、意気揚々と実家の戸を叩くでもなく咳などしている辺り、何か故郷への屈託を感じさせる。舞台劇の始まりのような一首だ。
「煙」は、啄木の故郷である旧・渋民村について、虚実を取り混ぜて詠んだ一連。啄木は追われるように故郷を離れて以来、死ぬまで村に帰ることがなかったのだが、「咳せし男」は明らかに彼自身の投影である。もっとも、はるばる上京した同時代の若者たちにとって、「男」に自らを重ねることは容易だったのかもしれない。
「我を愛する歌」の章からも三首引く。
大といふ字を百あまり
砂に書き
死ぬことをやめて帰り来れり
鏡とり
能(あた)ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ
泣き飽きし時
実務には役に立たざるうた人(びと)と
我を見る人に
金借りにけり
どの歌も、過剰なまでに芝居がかっている。それでいて、ある時代を生きた一人の人物の〈顔〉を、ありありと描き出している。
啄木の歌やザンダーの写真を思うとき、私は、20世紀初めと現在との隔たりを感じずにはいられない。迷いがちな私たちは、いや、少なくとも私は、もはや――良くも悪くも――彼らのようにくっきりとした輪郭を持つことができない。