ひつそりと濡れしガーゼが垂れてをり百葉箱の闇を開けば

                                                                  大辻隆弘『汀暮抄』(2012年)

 

 百葉箱と言えば学校である。多くの人にとって百葉箱のある風景は、学校の記憶とともにあるのではないだろうか。校内の片隅にひっそりと置かれた百葉箱。白いペンキで塗られたそれは、見慣れたものでありながら開かれる機会は少ない。しかも側面に隙間はあるが、外から覗き込むことのできない造りになっている。

 そんな百葉箱をどきどきしながら開くと、ひっそりとガーゼが濡れていた。それは科学的には湿度を測るためのものだろうが、そこに主体の意識はすっと吸いつけられたのだろう。読者は濡れたガーゼの質感を脳裏に想像することになり、「垂れており」という言葉の選択もあってか、私などはガーゼにほのかなエロスさえ感じてしまう。現在形で歌われながら、過去の記憶や時間が引き寄せられるようで面白い。

倒置法というのはそれほど複雑な技法ではないけれど、ここでは効果的だろう。短歌においては描かれる順番は意外と重要で、提示される言葉の順番に沿って、逐次的にイメージが生成されてゆくことも多い。この歌の場合まず濡れたガーゼがクローアップされ、何のガーゼか若干戸惑ったあと、ちょっとカメラの視点が引かれて、あ、これは百葉箱の中のガーゼのことだったんだと、読者の意識は了解してゆく。下の句が読まれるまでの、たまゆらの意識の戸惑いが、濡れたガーゼの印象を強くしていると思う。

 

 『汀暮抄』は大辻の第七歌集で、最新刊である。主題的には旅の歌や、挽歌、家族の病のことも読まれており、文体的には従来の大辻からするとやや控えめで、華やぎからは遠いという印象もある。一方で、作品のどこか一点に残る褻の生活の実感がしみじみと響いてくることも多かった。

 

桃園(ももぞの)はやや丘に立つ私鉄駅くろ土が湿りはじめし春の

栃の実をつぶして搗きし餅といふかすかに舌にひびく苦さの

しづかなる橡(くぬぎ)の森に入りしかば湿れる苔を踏む靴の音

 

 一首目だと、「くろ土が湿りはじめし春の」が、桃園という駅が立つ丘の土地の匂いや湿度までを想像させて、まったく知らない駅のことなのに共感する。シンプルな歌のようでいて、歌の巧さの醍醐味がある。三首目では、苔を踏む時の触覚とともに、「苔を踏む靴の音」を通して逆に靴の音までが聞こえる森の静けさが伝わってくる。

 

ひとつかみほどの太さの夕かげが角度を帯びて部屋をつらぬく

 

 光の歌は大辻の十八番だろう。「夕かげ」は「影」ではなく「光」のことである。「ひとつかみ」「太さ」「角度を帯びて」という把握はやはり面白く、光に物質としての質感までが感じられる。

 

 

*大辻氏の「辻」のしんにょうの点は一つなのですが、ワープロではどうしても表示できないので、「辻」で代用しています。

 

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