秀吉が大河ドラマであっさりと死んで開票三十分前

松木秀『RERA』(2010)

 

選挙のあった日曜日の夜。NHKでは、選挙開票速報の放送前に大河ドラマを放送している。語り手は、大河ドラマを毎週熱心に観ている訳ではないのだろう。開票速報を待つ間、なんとなくテレビをつけているイメージだ。そのドラマの中で、一度は「天下を取った」はずの男の死が、あっけないほど簡単に描かれる。その死の様子は、間もなく発表される選挙の結果とも響きあっているようだ。そう。今回の「天下取り」も長くは続かないのではないかという、気だるい予感。

 

事実関係を書いておくと、この歌でいう「大河ドラマ」とは2009年放送の『天地人』である。総合テレビでの放送は通常20時からだが、衆議院議員総選挙があった8月30日は、開票速報放送のため19時10分から放送された。この日の内容は、秀吉の死。事実そのままと言えばそのままの歌なのである。

もしかするとこの歌は、テレビを見ながらラフスケッチのように作られたのかもしれない(韻律も散文的で、あまり作り込んでいる感じはしない)。しかし、ここに込められた毒は紛れもない。

この選挙で民主党が第一党となり、戦後初めて政権が交代したことは周知の通り。秀吉の死の数十分後に確定する政権交代。何というか、ちょっとできすぎなくらいだ。

もちろん、この歌が2009年夏に作られたものだと知らなかったとしても、「秀吉の死」と「選挙」の取り合わせにシニカルな笑いを読み取ることは可能だと思う。

 

  「まもりたい」などと言いつつ保険屋や遠き死ばかりか近き死も売る

  人間が死んだら星になるのなら夜でも空は明るいはずだ

  「都合により休載します」が何回も続きそのまま死ぬのであろう

 

松木秀の歌に出てくる「死」は、軽い。一首目は塚本邦雄の「はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を売りにくる」の本歌取りだが、本歌と比べたとき、その違いは歴然としている(「まもりたい」という宣伝文句の薄っぺらさよ!)。

急いで付け加えるが、作者が死を軽んじているとか、そういうことを言いたいのではない。

たとえばテレビや新聞で、ある一人の死がごく簡単に紹介されることは、日常的にある。短歌に死を詠み込むとき、多くの人はメディアの中の「軽い死」を否定し、言葉によって死の重みを回復させる方向に向かうのではないだろうか。ところが松木秀は、あえて「軽い死」を軽いまま短歌に流し込んでくる。湿っぽさがなく、ダジャレやウィットを満載しているにもかかわらず、何かひりひりした痛みを感じるのは、現代社会を生きる私たちが、この「軽さ」から逃れられないという事実を、目の前に突き付けられるような気がするせいかもしれない。

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