石川 美南


駆けつこの迅きは英雄となりて墜ち鈍足の群れに射せる黄昏

松川洋子『ハロ族の星』(1994)

 

ある時代の「終わり」を思うとき、人は過去の記憶と、そこに棲みつく死者たちを、まざまざと呼び出してしまうものなのだろうか。この歌には、太平洋戦争の悲痛な記憶と、その後の時代を「生き残ってきた」人々の悲しみが込められている。

「駆けつこの迅きは英雄となりて」という勢いのある歌い出し。しかし、その華々しさは、「墜ち」の2文字で、文字通り墜落する。こんなふうに勢いよく戦地に赴き、そのまま帰って来なかった若者たちが大勢いたのだ。そして、生き残った「鈍足の群れ」(もちろんそこには語り手も含まれている)にも、黄昏の時間が訪れる。

 

1988(昭和63)年半ばから1993(平成5)年半ばまでの作品を収めた『ハロ族の星』には、「終わり」の気配が満ちている。

 

  太朗と花子桜に遊ぶ明治の絵二十世紀の闇に溶けゆく

  倒木の樹皮に沁み入る夕光の赫く変はりて昭和終りぬ

  巨きもの崩るる音す極月を土屋文明逝きまししかな

  産声を聴ける日とほしけふわれは鳥回廊に娘を放ちやる

 

昭和の終わり、土屋文明の死、結婚して家を出ていく娘のこと、そして、来たるべき「世紀の終わり」。様々な「終わり」を彩る赤い夕映えを、語り手は静かに見つめる。

  

  星雲のほろび遅々たり祖母(おほはは)のその祖母の古鏡の曇り

  真円に返らむとして死の星の月ははつかに光こぼしき

 

夕日よりもさらに遠いところから、地球を照らす星々。そのわずかな光にも、〈90年代〉の思いが託されている。