走れトロイカ おまえの残す静寂に開く幾千もの門がある

服部真里子 「町」2号(2009)

 

※同人誌「町」概要は3月12日の更新参照http://www.sunagoya.com/tanka/?p=7338

 

「町」2号は、2009年12月刊。編集人は服部真里子。企画担当は望月裕二郎。この号のみ、平岡直子が欠詠している。表紙は黄土色、青、紫のドットがあしらわれたデザインで、左右両開き。右から開くと縦書きで各自の連作14首が始まり、左から開くと横書きで企画「31音日記」が始まる。

31音日記とは、2009年10月5日から18日までの14日間、「1日31音節を厳守する」「だけど57577の韻律は意識しない」「その日あった『現実』を盛る」というルールで、各同人が日記をつけたもの。31音という「定量性」と57577という「定型性」が「現実」とどう関わり合うか、という問題意識から生まれた企画だという。例として、10月8日分を挙げておこう。

 

  服部 歩きながらひげそりする人とすれ違う。き、器用だ。器用すぎる。

  望月 祖母の一周忌。すずめ、強風のため今朝は庭に姿を見せず。

  吉岡 大学の色んな場所に腰かけて平井弘を少しずつ読む。

  土岐 晴れときどき曇り。脳神経外科学の勉強。野ネズミを見た。

  瀬戸 (風邪薬)+(睡眠)=((台風の姿を見ていない東京に))

 

普段の短歌では比較的定型意識が高いと思われる服部真里子が、「日記」になるといきなり定型を逸脱し始める一方、吉岡太朗は定型感を残したままでラフな日常を切り取って見せる。瀬戸夏子は、企画のルールを守りつつ、かなり「作品」として作り込んでいる。そんなところにも、それぞれの作家性が垣間見られて興味深い。

2号では他に、吉岡太朗による「短歌の日記」と瀬戸夏子による評論「穂村弘という短歌史」が収録されている。ここでは内容に踏み込まないが、どちらも、一から歌論を組み立てる粘り強さに圧倒される。

 

 

服部真里子は1987年生まれ。早稲田短歌会出身で、ここ数年は新人賞の上位に必ず残っている実力者である。遠い国での出来事と日本での日常が、豊かな発想力によって一つに結びつけられる手つきは、強いて言えば大滝和子系統か。しかし、大滝和子の場合、異なる文化が遥か天空でばったり出会うような印象があるのに比べて、服部真里子の歌は、どちらかといえば「こちら側」に軸足がある。たとえるならば、日本語に翻訳された外国文学を読むときの、やや距離を置いた憧れの感覚に近い。

 

トロイカは、ロシアの三頭立ての馬そりのこと。「走れトロイカ」は、言わずと知れたロシア民謡「トロイカ」の日本語詞の一節である。「雪の白樺並木 夕日が映える 走れトロイカほがらかに 鈴の音高く」という楽しげな歌詞と、哀愁漂う曲調にすごいギャップがあるが、これは、別の歌の歌詞が間違って翻訳されたためで、本来は、お金持ちの地主に恋人を横取りされた御者の悲しみを歌いあげる内容だったという。後に原詩に近い歌詞も翻訳されているが、今となっては、誤った歌詞の方が正統なもののように見えてしまう。「走れトロイカ」というフレーズがあるのは、初めの訳の方だけである。

雪の中、鈴を鳴らして走る馬そり。それに対して「おまえ」と呼びかけた瞬間に、「トロイカ」は単なる民謡の引用を超えて、語り手の思い入れの対象になる。もっとも、語り手が心を寄せているのは、そり自体ではなく、賑やかな音を立ててそりが過ぎていった後、いよいよ深まる静寂の方だ。その静けさによって、幾千もの非在の門が一斉に開くのだという。寂しさに心を開ききっているような、静謐とした境地が魅力的だ。

 

  マヨネーズチューブに宇宙閉じこめてごく安らかな膨張を見る  「町」2号

  フォークランド諸島の長い夕焼けがはるかに投げてよこす伊予柑 「町」3号

  ありふれた時間移動(タイムスリップ)のシーンだが今朝の雨のやみぎわに似ている

                                          「町」4号

 

マヨネーズチューブの中の宇宙、フォークランド諸島からオレンジ色の夕焼けを伝ってやってくる伊予柑、日常と隣り合わせのタイムスリップ。どれもが少し意外で、そして、あくまでも抑制が効いている。

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