棚木 恒寿


たつぷりとみづ注ぎても焼けてゐる砂地かひとをまた恋ひてをり

                                                        上村典子『草上のカヌー』(1993年)

 

 現代歌人は比喩が大好きだ。読者も比喩のダイナミズムを期待していることが多いだろう。この歌の上の句も、作中主体の心理状態の比喩である。通釈すると、たっぷりと水を注いでも焼けている砂地のようなものではないか私の心は、あの人をまた恋うているよということになろうか。

 からからに渇いた土は、自身と同じ質量の水を吸収するという。乾いた砂地は、注いだ水をとめどなく吸収してゆく。それと同様に、とめどなく君を恋う心は生まれてくる。君を恋いて恋いてやまないという歌は古典和歌の時代からあるが、この比喩はまぎれもなく現代短歌ものであろう。自分では、自分のあふれる恋心をコントロールできない感じ、人を想うときの心理の微妙なところが表現されていると想う。水を吸収する砂には、うすくエロスのイメージがあるかもしれない。

 

ふゆの髪みじかく剪らなこゑとどく標柱なれよわがうしろうび

 

 冬の髪を短く切ろう、誰かの声がとどくような標柱であって欲しい、わが後ろ首はということである。誰かの声とは、思いのある「君」の声と考えてよいだろうか。君の声の届く標柱でありたい、君をもとめる気持ちがそこにはある。

 

編集部より:『上村典子歌集』(『草上のカヌー』を全篇収録)はこちら↓

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