だまっても口がへらない食卓にわたしの席がみあたらないが

望月裕二郎 「町」4号(2010)

 

※同人誌「町」概要は3月12日の更新参照http://www.sunagoya.com/tanka/?p=7338

 

「町」4号は、2010年12月刊。編集は土岐友浩。色とりどりだった前号とは対照的に、マットな白い紙に明朝体で題字と町民名を記したのみのシンプルな表紙。企画はなく短歌一本勝負で、ページ数もこれまでの3号と比べてだいぶ少ない。その代わり、「無料」だ。

話が横道にそれてしまうけれど、短歌同人誌の多くは、基本的に同人の会費によって発行されている。定期的に発行している場合は年会費として収めることもあるし、不定期刊の場合は「1号につき○○円」、「1ページ寄稿するごとに○○円」、「○○部以上買い取り」などの方法をとる。もちろん、読者に購入していただいて得たお金は貴重な活動資金になるが、寄贈する分や発送費などを考えると、利益が出ることは(私の知る限りでは)ほとんどない。同人誌に値段を付けることは、「儲けを出したい」というだけでなく、「お金を出して読んでいただけるものをきちんと作ろうとしています」という意志表示の意味合いがあると思う。

「町」も、3号までは1部500円で販売してきていた。それを、ここへ来て無料にしたのは、上に書いたような「お約束」をあえて破ることで、「もっと広く読んでもらいたい」という気持ちをアピールしたものと思われる。一見シンプルすぎる表紙も、「無料」というコンセプトを体現したものなのだろう。

 

 

望月裕二郎は1986年生まれ。4号には「うんともすんとも」25首を発表している。

口が達者で、屁理屈で言い返したり、負け惜しみを言ったりする人のことを「口が減らない人」という。上の句「だまっても口がへらない食卓に」はそれを踏まえつつ、意味をスライドさせている。確かに、食卓を囲む人たちには一人一つずつ口が付いており、物理的に「口(の個数)が減る」ことはない。

ここまででもなかなか機知に富んでいるが、下の句「わたしの席がみあたらないが」まで読むと、「わたしの席」を用意してくれることなく、黙々と口を動かしながら食べ続けている彼らが、妙に不敵な(=本来の意味での「口が減らない人」に近い?)存在に見えてくる。「わたし」の方は、除け者にされて憮然としているのか、それとも、「席がみあたらない」と空とぼけて、彼らと同席することをさりげなく回避しているのだろうか。

 

  歯に衣をきせて(わたしも服ぐらいきたいものだが)外をあるかす

  丸裸にされてしまったわたくしの丸のあたりが立ちっぱなしだ

  穴があれば入りたいというその口は(おことばですが)穴じゃないのか

 

同じ連作から。1首めは「口が減らない」同様、「歯に衣をきせる」という慣用句をアレンジしている。歯には衣を着せているのに(=言葉の上では遠慮しているのに)、「わたし」本体は全裸(?)、というズレが読みどころだ。「(わたしも服ぐらいきたいものだが)」とうそぶいてみせることで、「歯に衣をきせた」状態で無難に振る舞う自分と、素の自分との乖離を言っているのだろう。

どの歌も、「歯」「裸」「口」など身体を詠み込み、男性性を意識させる猥雑な言葉を盛り込んでいるが、文体はむしろ主知的な印象。人とコミュニケーションする上でのズレや軋みを、理屈っぽく、飄々と描き出しているところが面白い。

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