メガバンク、メガバンクとぞ囁きて歯ならぬ桜咲き満つる国

大滝和子『竹とヴィーナス』(2007)

 

今年は例年に比べて桜の開花が遅れているようだ。東京の開花は3月31日。これは昨年より3日遅く、過去10年の平均と比べると8日も遅いという。

我が家の近くの小学校もここ数年は3月中に桜が咲ききってしまって、入学式の頃には校舎周辺の排水溝に花びらがぎっしり溜まっていることが多かったが、今年は1年生を交えてお花見ができることだろう。

今日から数回分は、桜の出てくる歌を取り上げてみたい。

 

 

1990年代後半以降、日本では銀行の統合・再編が相次ぎ、巨大な資産・収益規模を持つ銀行(グループ)、いわゆる「メガバンク」が育っていった。

なぜ桜が「メガバンク、メガバンク」と囁くのか、という論理的な説明はできないが、膨れ上がる銀行組織、そしてそこに蓄えられる莫大なお金のイメージが、一斉に咲き乱れる桜の花と重ね合わせられるとき、何か異様な美しさと恐ろしさが立ち上がってくる。

「歯ならぬ桜」という表現が、またすごい。「歯」ではない、と表面上は打ち消しているけれど、このように言われてみると、夥しい桜の花びらが全て歯であり、その美しい歯並びを見せながら一斉に囁きかけてくるような不穏なイメージが、振り払っても振り払っても浮かんできてしまう。

もっとも、作者の大滝和子は、メガバンクについて経済的観点から何か物申したい、という訳ではなさそうだ。

 

  株券をわれは持たねど市況ニュース聴けり美(は)しき固有名詞あり

  真紅なる薔薇の襞より湧きいづるアジアの硬貨おびただしかも

 

ここでは「株券」や「アジアの硬貨」が登場するが、株式市場やアジア経済の生々しい喧騒を想起しているというより、「われ」とは直接関わりのない(からこそ?)美しいものとして認識されている。数式や物理法則に「美」を見出す視点に近いだろうか。

「メガバンク」についても同様に、ひたすら巨大で危うい存在として、ほとんど直感的に桜と結び付けられているのではないかと想像する。

 

大滝和子の桜の歌を、もう少し挙げておこう。

 

  家々に釘の芽しずみ神御衣(かむみそ)のごとくひろがる桜花かな

                                         『人類のヴァイオリン』

  信長を鞭打たむと欲しつつ桜ふぶきに紛れこみたり

  おそろしき桜なるかな鉄幹と晶子むすばれざりしごとくに      『竹とヴィーナス』

  練習をしないで咲いている桜 手提げのなかのアルカリ電池

 

「神御衣」に喩えられる大らかな桜。信長を鞭打ち、鉄幹と晶子の運命を変えてしまうような、破壊性を秘めた桜。そして、毎年毎年、たった一度きりの「ぶっつけ本番」で咲いている健気な桜。いずれの桜も、確かに目にした記憶がある。毎年、ちょうど今頃の季節に。

 

編集部より:大滝和子歌集『人類のヴァイオリン』はこちら↓(『竹とヴィーナス』は品切中)

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