辰巳泰子『紅い花』(1989)
樹が花を産み落とす、という見立てが美しい。冬の間、黒い幹の中で密かに育んできたものが、春になって、そっと身体の外へと押し出される。それが、あの白い花だというのである。
「産み落とす」タイミングが「からだ軽くなりたるゆふぐれ」であるところも面白い。生き物にとって「産む」とは一大事であり、辰巳泰子自身も、後に出産に臨んだ際は、
男らは皆戦争に死ねよとて陣痛のきはみわれは憎みゐき 『アトム・ハート・マザー』
という鮮烈な歌を作っている訳だが、小さな花がほころぶ瞬間というのは、ふっと溜め息をついたときのように、ささやかで穏やかなものなのだろう。
「産み/落とす」の句跨りがリズムに小さな変化を与えており、「産み落とす」瞬間の、幹の僅かな震えのようにも感じられる。
暖かな春の夕暮れ、ひととき「ふとからだ軽くなりたる」ような気分に浸っていたのは、本当に桜だったのか。それとも、桜を見上げていた女の方だったか。
歌集『紅い花』ではこの歌の次に、
乳ふさをろくでなしにもふふませて桜終はらす雨を見てゐる
が並んでいる。「乳ふさをろくでなしにもふふませて」とはかなり大胆なフレーズだが、二首続けて読んでみると、それほど生々しい感じがしない。「ろくでなし」のことも「桜終はらす雨」のことも、半ば諦めながら静かに受け入れてやっている、みっしりとした大樹のような女性像が思い浮かぶからだろうか。