さよならをあなたの声で聞きたくてあなたと出会う必要がある

枡野浩一『歌 ロングロングショートソングロング』(2012)

 

「さよなら」は、一日の終わりの挨拶なのか、それとも、永遠の別れを告げる言葉なのか。いずれにせよ、出会う前から「さよなら」を想定してしまう語り手の寂しさと、「それでも出会いたい」と思う人恋しさに、ぐっとくる。

特定の誰か(たとえばインターネット上で言葉を交わした人とか)に恋をしているというシチュエーションを思い浮かべることもできるが、もう少し漠然と、人間全体への寂しいラブソングとして読んだ方が、より切なく響いてくる。歌集の終わり辺りにこの歌が出てくるところもいい。

 

『歌』は、枡野浩一(短歌)と杉田協士(写真)の共著。枡野浩一の新作歌集としては13年ぶりの本である。やや横長の変型判、横書き。各ページは、上から3分の1ほどのスペースに短歌が印字されており、下3分の2を写真が占めている。短歌は1ページに収まることもあれば、2ページにまたがっていることもある。写真と短歌とは、互いに響きあったり離れたりしながら、横へ横へとテンポ良く流れていく。

映画監督である杉田協士の写真は、街を散歩しながらとりとめもなくいろんなことを考えている時の空気がそのまま写り込んでいるかのようで、心地良い。ここのガソリンスタンド、人が入ってるのを一度も見たことないな。あそこの店の「おでん色々」「お茶漬色々」っていうお品書きは妙にそそるんだよなあ。夜の自動販売機って、なんで寂しいんだろう。あ、飛行船。

枡野浩一の短歌の方も、やはりどこか「散歩」っぽい。

 

  かなしみにひたるのはまだひまがあるからなのかなとみるスケジュール

  「それ言っちゃおしまい」ならばおしまいになればいいって思う(おしまい)

  だれかからメールがたまに来るような よい一年でありますように

 

70首のうち、今すぐ付箋を付けて覚えておきたいと思うようなワンダーに満ちた歌は、1首もない。けれども、たとえば日常会話の中に「それ言っちゃおしまい」というフレーズが出てきたとき、事務的なメールの返信が大量に溜まってしまっているとき(または誰からも全然メールが来なくて寂しいとき)、「あ、枡野さんが何か言ってたな」とうっすら思い出す。そういう淡い付き合い方ができるところこそが、(嫌味でなく)枡野浩一の短歌の美質なのだと思う。

急いで付け加えれば、そうした「淡さ」は決して不用意なものではない。これらの言葉たちは、淡く付き合うことができるよう、注意深く設計されたものなのだ。短歌の作者としての私は、枡野浩一の設計図をそのまま踏襲したいとは思わないが、枡野浩一独特の、一見身も蓋もなく見えて厳密、そして意外にシャイな言葉付きには、読んでいて惹かれるものがある。

という訳で枡野さん、今後とも淡く永くよろしくお願いいたします。

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