魚村 晋太郎


日照雨過ぎムーアの丘に虹立てり大洪水後いく度目の虹

香川ヒサ『パン』(1999年)

思いがけず虹を見ると、ちょっとしあわせな気持ちになる。
虹は俳句では夏の季語で、他の季節の虹は、春の虹、とか、冬の虹、と言って区別する。
主虹の外側に薄い副虹が見えることがあるが、古代中国ではこれを雌雄の蛇と考えて、内側の雄の方を虹、外側の雌の方を蜺と表した。虫偏がつくのは、そのせいである。
世界各地の神話に現れるが、日本神話の冒頭で伊弉諾(いざなぎ)、伊弉冉(いざなみ)がそこに立って矛で下界をかきまぜたという、天の浮橋、も虹のことだと考えられる。
旧約聖書では、大洪水の後、神がノアと、洪水をおこして世界を滅ぼすことを二度としないという約束をした。その約束を覚えているしるしだとされる。

日照雨は、ひでりあめ、とも読むが、そばえ、と読む方がしらべがいい。
ムーアの丘、のムーアは、最初地名かと思った。或いは、ムーア人、つまりヨーロッパ人にとってのイスラム教徒のこと、と関係があるのかな、とも思った。
が、スコットランドの原野のことをmoorというので、原野の丘、或いは、荒地の丘、という意味にとっておく。

ムーアは土壌が悪く農地に適さない。
主人公は、岩だらけの荒地にかかる虹を見て、創世記のエピソードを思う。
神は二度と世界をほろぼさないと約束をした。
しかし、目の前に広がる世界は、まるで大洪水によって滅ぼされた直後のようにすさんでいる。
すさんでいるのは、もちろん、主人公の目の前の土地だけではない。

歌集にはこんな一首もある。

  あの時も思はれたこと全滅をすれば全てが新しくなる

あの時、とは直接は、創世記のノアの洪水の後のことをさすのだろうが、人類の歴史はその後いく度も、全滅、をくわだててきたのではないか。
生き残ったもの、「選ばれた」ものは地に栄え、後にまた互いをほろぼしあう。
虹は、世界を滅ぼさないという神の約束のしるしのはずなのだが、荒地の虹を詠んだ一首は、読者にそんな逆説を問いかけている。