わが生まむ女童はまばたきひとつせず薔薇見れば薔薇のその花の上に

前川緑『みどり抄』(1952年)

月たらずに生まれた赤ん坊は、生まれてまもなく死んでしまった。
流産や死産は、そんなに珍しいことではない。けれど、その経験を語るひとはあまりいない。

風を感じ、花をながめることもなく、死んだ子。
胎内に育てた数か月を母は大切に胸にしまいこみ、ひとりその子を思いつづける。
時間は、引き裂かれるような哀しみを和らげはするけれど、わが子の不在を強く感じさせるものでもある。なぜここにいないのか、もし生きていれば、とおもわない日はないだろう。

「まばたきひとつせず」は、母の語る、わが子が生きていたというただひとつの事実。
だから決してネガティブなだけの表現ではない。
また、「女童」であったことから、下の句は極上の美として描かれる。
「薔薇見れば薔薇のその花の上に」とは。ほんとうに美しいフレーズだ。
薔薇をそのひとみにうつすことなく逝ってしまったけれど、この歌を読むと、生きて美しく成長した「女童」が薔薇を見つめるひとみを想像してしまいそうになる。

薔薇のはなやかな美を前にすると、生も死もそんなにかわりはないことのようにおもえて、なんとなくおそろしくもなってくる。

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