江戸 雪


無縁なるものの優しさ持ち合ひて草食む牛とわれとの日昏れ

中城ふみ子『乳房喪失』(1954年)

この世にはたくさんのひとや動物が生きていて、時間は限りなく流れていく。
けれど、ここには「草食む牛」と「われ」だけがゆったりと存在している。
おたがいに干渉することなく、同じ場所と時間にいる。ただそれだけ。

あたりは日昏れの空気に覆われている。空は薄紫かうっすらとオレンジ色。
昼の終りは毎日くるのに、毎日さびしい。
だれかとおもいきり楽しい時間を過ごしていても、そのさびしさをくぐりぬけることにかわりはない。

縁がもたらす優しさはわかりやすく、誰しも感じることはできる。けれど、縁のないものとの精神の交感に気付くひとはどれくらいいるのだろう。
そこには「無縁なるものの優しさ」を感じている豊かさがある。
昼の終りという時間だからこそ、その瞬間は訪れたのだろう。

「持ち合ひて」には、「牛」の孤独、「われ」の孤独をつよく感じる。
孤独を胸の底に沈ませながら、無限にひろがる草地のような愛を見出しているのだ。