魚村 晋太郎


またちがふ蝉が鳴きだし窓のそとひとつづつふえてゆく距離があり

河野美砂子『無言歌』(2004年)

二十歳のころから、毎年、いつ蝉が鳴き始めるかを意識している。
街中ではだいたい七夕のころ。
大きな公園や里山にゆくと7月のはじめころから鳴いている。
6月中に鳴くことはなかったが、今年は空梅雨気味で暑い日が続いたせいか、6月の後半には何度か蝉の声を耳にした。
蝉といえば夏の季語で、アブラゼミ、クマゼミ、ミンミンゼミもそうだが、ツクツクホウシとヒグラシは秋の季語で、実際鳴き始める時期がすこし遅い。

不思議な一首だ。
蝉は輪唱のようにつぎからつぎへ鳴きつぐ。
距離というのは直接には、前から鳴いていた蝉と、いま鳴きはじめた蝉、そして次に鳴きはじめる蟬との距離のことだろう。
蝉の声を聞きながらそんな距離を意識するのは、こころがぼんやりとうつろになっているときだ。

そして、きっと、ちがう蝉が鳴きはじめるたびに、主人公のこころを疼かせる何かがあるのだろう。
たとえば、言ってしまった、取り返しのつかない一言。
その悔恨の念が、まるで自分のものではないように、何度も何度もリプレイされる。

作者はプロのピアニストでもあり、そのせいか、歌集には音の奥行きがつくりだす不思議な感覚にこころをかさねた歌が多い。
  ふる雨の音に生まるる奥行きが裏庭の夜の入口となる
ぼんやりとしているが、あ、この感じわかる、と思わせるこころの質感が読者に手渡されるのだ。

当初「蝉」の字を虫へんに「憚」の右側を書く字で表記しました。
それが正しいし、歌集でもその字なのですが、パソコン上では「環境依存文字」で、表示されないことがあるため、「蝉」の字で代用します。