江戸 雪


蜩(ひぐらし)の声あるごとし山のにほひあるごとし心しづめがたしも

石川不二子『牧歌』(1976年)

自分の心を詠むのはむずかしく、自己愛がめだってしまい鼻につくことがある。
けれど、この歌。大きく素朴に詠まれているせいか、すんなり胸に入ってくる。すんなり入ってくるけれど、詠まれている心は尋常ではない。

蜩は夏にかなかなと鳴く蝉だ。夕暮れに鳴くというイメイジがつよいため、もの憂さを呼ぶ存在として捉えられることが多い。ただ実際は、あの蜩の鳴き声をそばできくと、甲高く耳にじんじんひびいてきて、とても夕暮れのさびしさなど感じることはできない。
さて、この歌ではどうだろう。「蜩の声」から「山のにほひ」へと印象をつなげてみると、蜩の声は山の奥深い場所からはかなく聞こえてくる。

「山のにほひ」から連想するのは、土や苔や樹からたちのぼる湿った冷気。わたしたち人間が決してもつことのできないにおいだ。

かなかなと途切れることのないうっすら聞こえる蜩の声。
ひややかにつつみこんでくるような山のにおい。
どちらも、人智を超えた力や、絶対的な大きさ深さを湛えたものである。
それらに接するとき。心に作用するとき。
何かを求め、何かに応えたくなる。どうしようもなく。

それは、地の底から湧いてくるような冷たい情熱。